新たな知識との出会い
下田にある宝福寺。下田の街を歩いている時に通りかかりました(以前からこの看板は知っていたけど、お寺だけかと思ってました)
せっかくなのでお参りして御朱印を…とお寺側を向くと「唐人お吉記念館」に気付く。
(普段知る機会はないであろう知識との出会いなんて、こんなモンです。だから旅って面白い)
受付でお伺いしたところ、撮影、掲載共にOKではあるけど、(唐人お吉を演じた)芸能人関係の写真の掲載はNGとの事で舞台・映像コーナーはカットします
そもそも「唐人お吉」とはどんな人なのか…名前だけは聞いた事がある程度で実は全く知りませんでした
【唐人お吉】
斎藤きち
江戸時代末~明治中期の人。
下田の芸妓。日米修好通商条約締結の為下田に領事として滞在していたハリスが体調悪化した際に看護婦(妾という説あるが事実は不明)として仕えたらしいです(3日で解雇とも3ヶ月で解雇とも諸説あり)
幕府の命令とは言え外人に仕えた(身売りした)こと、高給に対する僻みも含め「唐人」(いわゆる毛唐=差別用語)と呼ばれ差別的扱いを受けていたようです
(鎖国時代→ワインを飲む外人を見て「生き血を飲む」と噂されるような時代のお話)
後に髪結に転職、小料理屋を開く等転々としたようですが、長く続かず最後は現在の蓮台寺駅近くの稲生沢川に身投げ(半身不随による転落事故説もあり)により亡くなったとの事。
※事実とフィクションが入り交じっており、実像は不明点が多い人ではある(この時代はよくある事ですが)
時代に振り回された不幸な人という点は共通しているようです
お吉さんとご対面
奥にあるこっちがお吉さんの本当のお墓(土葬)。
手前の大きい方は後の人が昭和初期に建立して分骨したもの。二基あるうちの右側(奥)がお吉さん、左側(手前)が婚約者(配偶者説あり)の鶴松さんのお墓らしいです
ご丁寧にお墓の前まで来て解説していただいた受付の方に改めて感謝致します
お墓なので、見学の際にはちゃんとお参りしましょう。
館内に戻ります
土佐藩主山内容堂と幕臣勝海舟が会談した謁見の間。この会談で坂本龍馬の土佐藩脱藩が認められて勇躍するきっかけになった史跡らしいです
この絵、個人的に雰囲気が好き
お吉さんを描いた絵物語
お吉さんゆかりの品々も展示。
部屋を一周するように並ぶ絵物語。これをまとめた小冊子があったので、購入♪
書き置きのみですが御朱印もいただきました
受付の方とご住職の奥様も気さくな方で色々お話を伺うことができ、有難い限りでした☆
命日の3月27日はお吉祭り(供養祭)もやってるとの事。
また再訪させていただきたいと思います♪
唐人お吉に興味を持った方は是非☆